東京都世田谷区、閑静な住宅街に園舎を構える「さくらしんまち保育園」。
偏食がなくなると話題の給食や、子ども達一人ひとりを大切にする保育方針から、見学者が絶えないという人気園を束ねるのが、園長の小嶋 泰輔(こじま だいすけ)さんです。
前向きでチャレンジングな小嶋園長ですが、園長就任後には職員の離職について悩み、試行錯誤を重ねてきたといいます。
今回はそんな小嶋さんの職員への「想い」と、保育士さんが笑顔で働ける職場づくりの工夫についてお話いただきます。
-
*シリーズ「保育ノゲンバ」は、保育施設や保育士・園長先生などにフォーカスし、保育の現場(ゲンバ)をお伝えするリポート取材連載です。
営業マンから一転、保育の世界へ……小嶋 泰輔園長
――小嶋先生はどのようにしてさくらしんまち保育園の園長になられたのでしょうか
小嶋泰輔 園長(以下、小嶋):僕はもともと一般企業の営業マンとして働いていました。8年間働くあいだに結婚し、子どもも授かったのですが、深夜まで残業するような日々……。しだいにそんな毎日に疑問を抱くようになりました。
32歳で会社を辞め、認可保育園を設立しようと計画したのが、保育の世界への第一歩でした。
――営業マンからなぜまったく方向性の違う保育業界へ転身しようと?
小嶋:それまでの仕事を通じて多くの人とかかわるなかで、「人の生い立ち」って大事だなと思ったんです。とくに乳幼児期の育ちは、大人になるまでその人の人生を大きく左右するものなのだと……。
そんな乳幼児期の子どもの育ちに関わりたいと考え、思い切って保育の世界に飛び込んだんです。
――小嶋先生にとっての大きなターニングポイントだったのですね
小嶋:認可保育園設立は残念ながら失敗に終わってしまいましたが、保育への夢は諦めきれなかった。そこで、『保育環境研究所ギビングツリー』という団体で乳幼児教育を学ぶことにしたんです。
そのなかで、ギビングツリーの役員であり、さくらしんまち保育園の運営主体、菊清会の理事長である伊藤直樹さんに出会い、2009年にさくらしんまち保育園の副園長として雇い入れてもらったんです。
――ようやく保育への思いが叶ったのですね
小嶋:はい。その後2013年にさくらしんまち保育園の園長に就任しました。乳幼児教育に携わることは僕の憧れだったので、今は夢の舞台で日々尽力しています。
「職員が辞めてしまうこと」が心苦しかった
――夢を実現された小嶋先生ですが、開園間もない園の体制を整えていくなかでは苦難も多かったのでは?
小嶋:僕はなによりも、職員が辞めていってしまうことがとても辛かったんです。
もちろん、結婚や家庭の事情による転居など、致し方ない理由での退職もありますが、園長就任後数年間は、人間関係を理由に退職していってしまう方も多かった。
――人間関係に悩んで辞めてしまう……保育士さんにとってはもちろん、園にとっても辛いことですよね……
小嶋:園も職員も、お互い「いっしょに頑張っていきたい」という気持ちは一致していたはずなのに、職員が人間関係で行き詰ってしまわないようにするしくみが、まだ十分に整っていなかったんですね。
どうすれば職員同士の風通しがよくなるのか、誤解や衝突が生じるのを防げるのか……。これまで多くの試行錯誤を重ねてきました。
理想の保育士像と「できる先生」とが結びつかない現実
――環境や体制を整備することで、人間関係のトラブルも減らせると考えられたのですね。改善すべき点がどこにあるのか、見出すきっかけはあったのでしょうか
小嶋:退職してしまった職員のなかに、まだ保育の世界に入って1年目の、新人保育士さんがいたんです。
彼女はとても一生懸命で真面目な先生。子ども達にもやさしく、真剣に向き合っていました。
しかし、やさしい彼女には子ども達も甘えやすかったのでしょう。食事の時間には、駄々をこねたりぐずったり……なかなか食べてもらえません。
午睡の時間も、先生のもとでは子ども達がなかなか寝てくれない……という日々が続いたんですね。
そんなとき、ちょっぴり厳しい先輩の先生がやってくると、子ども達は騒いだりぐずったりするのをピタッとやめ、スムーズに食事を摂り、お昼寝をするんです。
――先輩保育士さんは、子ども達にとって絶対的に従うべき存在だったのですね……
小嶋:「先輩は子ども達に言うことを聞かせられる。でも自分にはそれができない……」。新人の先生は、「自分も言うことを聞かせられるようにならなくては」と、しだいに厳しい先輩のやり方をまねるようになったんです。
子ども達が言うことを聞くように怖い態度を取って圧をかけたり、怒ったり……。すると子ども達がビックリして、言うことを聞くようになったんですね。
「子ども達が言うことを聞いてくれた!」「給食を食べてくれた!」
でも、その瞬間彼女が見ているのは子どもの姿ではありません。先生がなによりも気にしているのは、先輩の目だったんです。
「先輩、見てくれたかな……」ということばかり気にし、先輩から評価されるために子ども達を怒り、本当はそうしたくないのにキツイ態度をとる。
「一人前の保育士」「できる先生」として先輩から認められるために、そうせざるを得ない状況に陥ってしまったんです。
なりたかったのはこんな保育士じゃない……
小嶋:子ども達に言うことを聞かせられるようになり、先輩にも評価されるようになっていった先生ですが、家に帰ると、子ども達に寄り添っていない自分の保育を思い返して、後悔や葛藤を抱いたそうです。
「あぁ、あのときじっくりあの子の気持ちに寄り添ってあげればよかった」「〇〇ちゃん、今日寂しそうな顔をしてたな……」そんなことばかりが頭によぎる。
20年間夢見てきた「やさしい笑顔の保育士さん」。保育園で働きはじめ、夢が叶ったと思ったけれど、今の自分は、理想とはかけ離れた保育をしている……。
結局、その先生は「私には続けられない」と1年目で退職していってしまったんです……。
――とても辛いですね……。彼女と同じような状況に陥って悩む保育士さんも、少なくないのかもしれません……
小嶋:実際、どこの保育園でも起こりうることだと思いますね……。
「子ども達を怒って言い聞かせなくてはならないことがツラい」「先輩の目ばかりを気にしなければならない環境が苦しい」と、辞めていってしまう保育士さんは多い。
だからこそまずは、怒って無理やりなにかを「させる」という保育のあり方を見直さなくてはいけないと考えたんです。
まず必要なのは「させる」保育からの脱却
――さくらしんまち保育園ではなにかを「させる」のではなく、子ども達自身に活動内容などを選ばせることを重視されていますよね
小嶋:さくらしんまち保育園では、午前中の活動の内容を子ども達自身で選んだり、コーナー保育でさまざまな遊びから好きなものを選択できるようにしたりと、子ども達に「選ぶ機会」を与えることを大切にしています。
そのほかにも、給食を食べる時間や量、午睡やおやつの時間なども、子ども達自身で決めて活動をしています。
開園当初から、子ども達が自分で活動を「選ぶ」という取り組みは行っていましたが、まだ十分に洗練されてはいなかった。
だから、与えられる選択肢を増やす、より自由な選択ができる環境を整備するなど、必要な肉付けを行って手直しをすることが必要でした。
――そうして「させる」保育からの脱却を目指した、と
小嶋:活動の内容を固定してしまったり、子ども達の活動に時間的な制約を多く作ってしまったりすると、どうしても子ども達に無理やりなにかを「させる」保育になってしまいがちです。
でも、子ども達が自分でやりたいこと、やりたいタイミングを選ぶことができれば、遊びを切り上げさせて給食を食べさせたり、おままごとの続きがやりたい子の手を引っ張って、無理に散歩に連れて行ったりしなくていい。
――「言うことを聞かせられる」=「仕事ができる」という方程式を崩せる、ということですね
小嶋:強制的に遊びを限定したり、食事時間を決めたりしないから、子ども達は主体的に活動に取り組めますし、「自分で選んだのだから」という責任感も生まれます。
いっぽうで職員は、そんな子ども達の選択をサポートしたり、あたたかく見守りながら自然体で保育と向きあえる。
この保育のありかたは、子ども達の笑顔や成長のための仕組みであることはもちろん、職員の笑顔にもつながるものだと思っています。
職員同士の風通しをよくするための異年齢保育
――「言うことを聞かせなければ」というプレッシャーを取り除いたとしても、やはり人間ですから、職員同士合わない……ということもあるのでは?
小嶋:保育士さんが人間関係に悩んで辞めてしまうことには、もうひとつ大きな要因があると思います。それはクラスごとに分断された職場環境。
たとえば複数担任制で2人でクラスを担当しているとしましょう。人間同士ですから、やはり考え方や性格があわない、ということもあるはずです。
1日の大半、その先生と2人だけで仕事をしていたら……やっぱりどうしてもストレスが溜まってしまいますよね。
1年間我慢して続けたとして、2年目も同じ先生と組むようなことになれば、「退職」の二文字が頭をよぎってしまうのもわかります。
――閉鎖的な環境だからこそ、よけいに人間関係に行き詰ってしまうのかもしれませんね……
小嶋:さくらしんまち保育園では、3・4・5歳児で異年齢クラスを導入しています。また、2歳までのクラスでも、ランチルームで合同で給食を食べるなど、クラス同士の敷居を低くして、職員同士が関わり合いを持てる環境づくりに努めています。
自分のクラス以外の先生と関わる機会もたくさんあるので、職員同士の風通しもよく、人間関係も行き詰まりにくい。
子ども達の成長できる環境を目指して導入している異年齢保育ですが、じつは「先生達のための異年齢保育」でもあるんですよ。
お互いの“想い”を知るファシリテーター研修
――そのほかにも、職場の人間関係改善のために取り組まれていることはありますか?
小嶋:職員同士がお互いの「想い」を知るための場として、定期的にファシリテーター研修を実施しています。
業務時間のなか1時間半、お互いの保育に対する思いや、今悩んでいることなどについて語り合います。
――具体的にはどのように研修を進めていくのでしょうか?
小嶋:業務に関する会議などとは違って「ホンネ」を話す場なので、まずはアイスブレイクとして、簡単なゲームなどに取り組みます。
その後、一人ずつ最近のマイブームや今悩んでいることや「ツラいな」と思うこと、さらに保育士になった理由や理想の保育士像などについて語っていきます。
――「研修」と聞くと身構えてしまいますが、思ったよりも“ざっくばらんに”語る場なのですね
小嶋:そうですね、例えるなら仕事終わりに飲みに行って、心のうちを語るようなイメージです(笑)。
自然とそんな場が持てていれればいいですが、職員もみんな忙しいですし、なかなかそういった機会を設けることが難しいので……。だからこそ定期的に「研修」というかたちで時間を設けているんです。
わだかまりを大きくしないためには「草むしり」が必要
――ファシリテーター研修を導入しようと考えたきっかけは?
小嶋:ファシリテーター研修は、以前に前職員同士のトラブルが発生したことから導入したんです。
「どちらが悪い」という訳でなくとも、お互いの想いが衝突してしまうことってありますよね……。でも、不満やストレスが大きくなってケンカが起こってから対処するのでは遅い。
心のわだかまりが小さなうちに、そのわだかまりの芽を摘んでおくこと。職場の人間関係を円満に保つためには「草むしり」が欠かせないんです。
――たしかに、お互いの考えや想いを知っていれば、防げる衝突も多いかもしれません
小嶋:「あの先生、そんな悩みを抱えていたんだ……」「そんな想いがあって保育士になったのね……」そんな相手の想いを知ることで、歩み寄りができることもありますからね。
自分にも子ども達や保育に対して想いがある、でも相手にも同じように想いがある。ファシリテーター研修は、そんな「本当の想い」に互いに触れるための時間なんです。
ともに働くうえでもっとも大切なことは……
――これまで職員を大切にし、園の環境やしくみを整備されてきた小嶋先生ですが、さくらしんまち保育園で働く職員にとって、一番大切なものはなんだと思いますか?
小嶋:ひとことで言えば「謙虚さ」ですかね。
上から目線で「指導をする」という視点ではいけない。子どもであれ、保護者であれ、職員であれ、相手の気持ちに寄り添ってあげられるような謙虚さがなければ、子ども達を尊重する保育なんてできませんし、いっしょに働く保育士さんの想いに目を向けることなんてできませんから……。
さくらしんまち保育園で働くうえで大切なのは、みんながほかの職員一人ひとりを尊重して「先生の考えはどうですか?」と問うスタンス。
自分目線で他者を排除するような姿勢では、絶対に摩擦が生じて衝突しあってしまうので、やはり謙虚な姿勢は欠かせないと思いますね。
個性が響きあってみんなが幸せに過ごす……そんな毎日を目指したい
――最後に、小嶋園長がさくらしんまち保育園で、これから実現していきたいことを教えてください
さくらしんまち保育園では、服装も髪の毛の色も、アクセサリーも自由。さくらしんまち保育園の職員という「集団」のために、働く人の個性を奪うことはしません。
いっぽうで、子ども達を尊重しないような姿勢に対しては厳しく指導をしています。それは、子ども達の個性も職員の個性も、どちらも大切にしたいから。
子ども達の個性、職員の個性、保護者の個性、それぞれが響きあって調和する……みんなが幸せでいられるような毎日を、これからも目指していきたいなと思いますね。
保育士・保護者の見学も大歓迎!
取材の最後に「見学や取材は大歓迎です!」と話してくださった小嶋園長。
さくらしんまち保育園の保育内容に興味のある保育士さん・保護者の方は、子どもを尊重し、あたたかい保育を実践する園の雰囲気を肌で感じてみてはいかがでしょうか。
【さくらしんまち保育園ホームページはコチラ】
園情報の詳細や連絡先はホームページに掲載されています!
http://www.sakurashinmachihoikuen.com/
編集者より
保育士の離職率の高さ、潜在保育士が多いことの要因のひとつとして、「人間関係の難しさ」があると言われています。
しかし、人間関係の問題に対し、職場環境や組織の体制づくりから切り込んでいる保育園はまだまだ少ないのではないでしょうか。
子ども達一人ひとりを尊重する保育園として、保護者から絶大な人気を得て、メディアからも注目されるさくらしんまち保育園。
その姿は、試行錯誤を繰り返しながら、子ども達はもちろん職員全員の幸せを願って一歩ずつ進んできた、そのひたむきな努力のもとに成り立っていることを、今回の取材で知りました。
「今の姿が終着点ではない」と語っていた小嶋園長。よりよい未来を目指してまい進していくさくらしんまち保育園のこれからが楽しみです。