京スカイツリーを間近にのぞむ、東京都墨田区。下町の情緒あふれるこの街で、家庭のようなあたたかい保育を実践しているのが、墨田区の施設型小規模保育所、「ちゃのま保育園」です。
手厚い職員配置、互いに意見を出しあえる風通しのよさ……今では保育士さんが働きやすい環境が整い、よりよい保育の実践にも結び付いている「ちゃのま保育園」ですが、開園当初はうまくいかない日々もあったそう。
今回は、代表の宮村柚衣さんに、ちゃのま保育園の魅力や、創設秘話を語っていただきました!
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*シリーズ「保育ノゲンバ」は、保育施設や保育士・園長先生などにフォーカスし、保育の現場(ゲンバ)をお伝えするリポート取材連載です。
ちゃのま保育園ってどんなところ?
今回お話をうかがったのは、ちゃのま保育園を立ち上げ、運営を行う代表の宮村 柚衣(みやむら ゆい)さん。
まずはちゃのま保育園とはどのような園なのか、その特徴や魅力について、うかがいました。
手厚い保育が魅力!基準を上回る人員配置
――どれくらいの規模で運営をされているのでしょうか
ちゃのま保育園は、墨田区が定める基準を満たした、施設型小規模保育事業所【A型】として認定を受けています。
現在お預かりしているのは、0歳~2歳児19名。保育士は10名勤務しています。
――国や自治体の基準よりも多くの保育士さんが働かれているのですね
そうですね。【A型】の職員配置基準は、認可保育所に準じていますが、ちゃのま保育園では、時短で働いたり、子どもの病気や行事などで休みを取ったりと、より多様な働き方ができるよう、人員配置をさらに手厚くしています。
実家の「お茶の間」みたいな保育園にしたい
――「ちゃのま保育園」という園名には、どのような思いが込められているのですか?
私は、奈良の小さな村で育ちました。実家には祖父母も同居していて、お茶の間にはいつもおばあちゃんがいたんです。
両親は共働きでしたが、学校から帰ると、おばあちゃんが毎日あたたかく迎えてくれて……。
近所の知り合いや、親戚のおじさん・おばさんなど、たくさんの人が、いつもお茶の間に集まっているような家庭だったので、寂しさを感じることはありませんでした。
保育園を立ち上げるときに、「地域全体に見守られ、愛される、あのお茶の間のような保育園にしたい!」そう思って「ちゃのま保育園」と名付けました。
――実際、地域の方とかかわる機会もあるのですか?
ちゃのま保育園があるビルの大家さんは、町内会の副会長さん。
開園前には、ごあいさつ回りにも同行してくださり、地域の方にちゃのま保育園を知ってもらうきっかけになりました。
今では、近所の方が不要になった子育て用品を譲ってくださったり、お散歩中に声をかけてくださったり。行事にも参加してくださいます。
私たちも公園のごみ拾いをしたり、近所の飲食店で職員の懇親会をしたり……。よい地域とのつながりができていると感じますね。
待機児童問題がきっかけで生まれた「ちゃのま保育園」
地域から愛され、保育士さんと子ども達の笑顔があふれる「ちゃのま保育園」。そんなステキな園の立ち上げのきっかけとなったのは、意外なできごとでした。
「え、私、働かれへんの……?」ある日届いた入園不許可通知
――ちゃのま保育園を立ち上げようと思われたきっかけは?
私には、年子の子どもが2人いるのですが、2歳・3歳の時に、待機児童になってしまったんです。
当時は在宅で経営事務の仕事をしていたのですが、子どもたちを保育園に預けて、企業で働きたいと考えていました。
しかし、墨田区から届いたのは入園不許可通知。「働けない」という現実を叩きつけられましたね。
保育園に子どもを預けることができないとなると、何年もの間、外で働くことを諦めなくてはならなくなる。「それならば、自分で保育園を作ればいい!」と2014年の10月に立ち上げたのが、ちゃのま保育園です。
開園から2週間でできてしまった保育士さんとの「溝」
――もともと保育の経験があったのですか?
実家が社会福祉法人を経営していて、保育園を運営しているのですが、私はたずさわったことがなく、保育の知識はゼロでした。
だから、開園から2週間ほどで、保育士さんとの間に深い溝ができてしまったんです。
――なにが原因だったのでしょうか……
経営者の視点と保育士の視点とでは、向いている方向がまったく違うんですよね。
でも、開業当時はその価値観の違いに、どのように対処してよいかわからず、戸惑っていました。
たとえば、あるとき保育士さんから「子どもたち全員にクレヨンを買ってほしい」という要望が出たんです。
しかし、開園当初のちゃのま保育園は、無認可保育園であったこともあり、支出をできるだけ削減しなくてはならない状況でした。
だから、要望を叶えられない理由を、保育士さんに丁寧に説明していたんですね。「今の保育園の経営状態で、みんなの要望をすべて聞いていたら、うちの園は破産してしまう……」と。
「保育士さんにしっかり理解してもらわなくては」という思いから、一生懸命伝えようと日々努力していました。でも、どうしてもうまく伝わらない。
試行錯誤しているうちに、保育士さんとの溝は、どんどん深くなっていきました。
あるとき、外出先から園に戻ってきたら、昼食を摂りながら楽しそうに話していた保育士さんたちの会話が、ピタッと止んだんです。
それを見て、「これではダメだ……」と思いました。
がむしゃらに頑張れば頑張るほど、保育士さんとの心の距離が開いてしまう。本当に空回りしていた時期でしたね。
転機をくれた「ある言葉」とは
――そのような状況から、どのように抜け出したのでしょうか?
「どうしてわかってもらえないんだろう……私の伝え方が悪いんかな……」
そう思って、いろいろな方に相談しました。
そのなかで、ある社長さんに言われたんです。
「あのね、宮村さん。“顧客満足”は“従業員満足”を超えられないんだよ」
「なるほど……!」と思いましたね。
この言葉は、当時モヤモヤした気持ちを抱えていた私にとって、まさに「ストン!」と腑に落ちるものでした。
当時は、園の経営状態を安定させるのに必死になり、焦っていた時期。
支出を抑えることや、「顧客」である保護者の満足度向上は重視していても、保育士さんの「思い」を受け止めることはできていなかったんです。
あの言葉を聞いて、「まずは、従業員である保育士さんの満足を考えなくてはダメだ」と思いました。
保育士さんの提案に「NO」と言わない
――その後、どのような取り組みをされたのでしょうか
保育士さんが、どんなことを不満に思っているのかわからなかったので、まずは、保育士さんに毎日1人ずつ、悩みや不満をヒアリングする時間を設けました。
取り組みをスタートした頃は、なかなか心を開いてもらえず、「なにか困ったことはない?」と聞いても、話してくれないことが多かったですが、とにかくひたすら「保育士さんの声に耳を傾ける」ことを続けました。
保育士という仕事のすばらしさに気付く
「お金を使って保育環境を充実させるより、その分お給料を増やしてあげたほうが、保育士さんにとってよいのでは……?」経営者目線で園を運営していた頃、私はそのように思っていました。
なので、あるとき「子どもたちのために新しい机を買ってほしい」と言った保育士さんに聞いてみたんです。
「机を買う3万円を、自分のために使えたらいいな、とは思わへんの?」と。
するとその保育士さんは、「それよりも、子ども達のために成長にあわせた机を用意してあげたいんです」と……。
保育士さんから話を聞いていくうちに、保育士さんにとって、子ども達によりよい保育ができる環境を整えることは、とても大切なことなんだということに気づきました。
お給料ももちろん重要だけど、うちの保育士さんはその大前提として、「子どものこと」を一番に重視していたんです。
心の底から子どもが好きで、子どもの成長を見ることにやりがいを感じている。いつだって「子ども達のために」という視点を強く持っている……。
「保育士とは、本当にすばらしい仕事なんだ」と、強く感じましたね。
保育士さんを「信じる」こと
そこからは、保育士さんをひたすら信じて、彼女たちが子どものことを思って提案してくれることに対して「NO」と言わないようにしました。
保育士さんの要望や提案を、できるだけ受け入れて、保育士さんと子ども達にとって、よりよい保育環境を徐々に整備していきました。
保育士さんの働きやすい環境を整える
保育士さんの要望にあわせて保育環境を改善するだけでなく、保育士さんがより働きやすいように、労働環境も見直しました。
- 【休める文化を作る】
- 手厚い人員配置を徹底することによって、保育士さんが必要なときに休みを取れる組織文化を構築しました。
- 【残業・持ち帰りをなくす】
- 残業時間・持ち帰り業務の有無を調査し、事務に必要な作業時間を別途勤務シフトに組み込むことに。退勤時間にしっかり業務を終えられる体制を整えました。
- 【保育理念を言語化する】
- 以前は、園の保育理念や方針が言語化できていなかったために、保育士同士、保育観がぶつかりあう場面もありました。
- そのため保育士さんと話し合い、1年かけて保育理念や基本方針を定めました。
- 【人事評価基準を明確化】
- 評価者の「さじ加減」での評価にならないよう、社会労務士と相談のうえ、人材マトリックスを作成。経験やスキルに応じて公平に人材評価ができるようにしました。
- 【それぞれの「得意」を活かす】
- たとえば、パソコンの得意な保育士さんに事務を任せるなど、個々の得意分野に応じた業務分担で、業務の効率化をはかると同時に、やりがいを持って働ける環境づくりを目指しました。
だんだんと信頼関係が築けるように……
――開園当初生まれた「溝」を埋めることはできたのでしょうか?
保育士さんからの要望には、すぐには実現できないこともありましたが、「お金が貯まったらやるからね」と約束し、実現することで、少しずつ信頼関係を築いていけるようになりました。
以前は「何を言っても否定されてしまう」となかなか話をしてくれなかった保育士さん達ですが、取り組みを続けるうちに、自然と意見が出てくるようになりましたね。
――保育士さんを信じることで、保育士さんも、宮村さんを信じてくれるようになっていったのですね
以前は自分で担当していた園長の役割も、新しい先生にお任せし、今では私は保育の現場にはノータッチ。
保育のことは、保育士さんを信じて任せています。
いっぽうで、私は経営者として、保育士さんが楽しく、やりがいを持って働き続けられるような環境・仕組みづくりに尽力しています。
今はお互いを信頼しあえる関係のもと、うまくやっていくことができていますね。
従業員満足の追求が、よりよい保育にもつながった
――宮村さんの転機となった「従業員満足は顧客満足を超えられない」という言葉ですが、正しかったなと実感する部分はありますか?
保育士さんが働きやすい環境を整えたら、自然と園に保育士さんの手作りおもちゃがあふれるようになりました。
音が出たり、手先の器用さを育てる仕組みがあったり……保育士さんの経験や知識が詰まったステキなおもちゃで、子どもたちも喜んで遊んでいます。
人員配置に余裕がなかったり、残業が多かったり……保育士さんが前向きに働ける環境でなかったら、おもちゃを手作りすることなんて、到底できませんよね。
保育士さんの要望や意見を聞いて、保育環境や労働環境を改善していったからこそ、実現できたことだと思います。
また、より新しい保育を知りたい、発達障害のある子どもへのサポート方法を学びたいなど、「もっと保育のことを学びたい」という意見が出るようになりましたね。今では定期的に講師を招いて、独自の研修を実施しています。
――保育士さんの満足が、子どもたちの笑顔や、より質の高い保育にもつながっているのですね
心が満たされた状態でなければ、他者に「与える」ということはできません。
だからこそ、保育士さんが楽しく、やりがいをもって働けるように環境を整備することや、自己肯定感・モチベーションを高められるように工夫することが、とても大切なのだと思います。
保育士さんの幸せを一番に考えたい
――最後に、今後の展望について聞かせてください!
まず、ちゃのま保育園の経営者として、保育士さんの幸せを一番に考えていきたいと思っています。
保育士さんの幸せは、よりよい保育につながり、子どもや保護者の幸せにもつながるものですから。
具体的にはまず、2園目を立ち上げて、産休・育休を取得しやすく、また安心して職場復帰できる環境を作りたいですね。
子どもの育ちを支える保育士の仕事にとって、出産や育児の経験は「財産」!だからこそ現場に帰ってきて、その経験を活かせるような環境を整備したいと考えています。
また、保育士さんの働きやすい環境づくりを「保育士の楽園Project」と名付けて、取り組んできましたが、その一環として、保育士さんのスキルやノウハウを活かした商品開発にも取り組んでいます。
今後はこういった新たな取り組みから、保育士さんの活躍の場を広めたり、より自由な働き方を構築したりできればいいなと思いますね!
――宮村さん、ありがとうございました!
編集者より
保育士不足や潜在保育士問題に注目が集まる今、「保育士さんをいかに確保するか」あるいは「いかに辞めずに働いてもらうか」と、頭を悩ませている園も多いのではないでしょうか。
「給与の改善」「業務の効率化」「キャリアアップの仕組みづくり」……表面的な対策はさまざまなところで講じられていますが、ちゃのま保育園のように、保育士さんの声に耳を傾け、その意見や要望を、実際の労働環境改善プランに盛り込んでいるところは、まだまだ少ないように思います。
「今の保育制度は、保育士さんの良心のもとに成り立っている」そう語ってくれた宮村さん。
そんな保育士さんが、笑顔で働き続けるためには、表面的な制度の改善だけでなく、もっと保育士さんの心に寄り添った対策が必要なのかもしれません。
次回は「NOと言える保育士」をコンセプトに、保育士さんの働く環境改善に取り組む『保育士の楽園Project』について、詳しくお話をうかがいます!
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◆ちゃのま保育園についてはこちら。
※この取材記事の内容は、2018年11月に行った取材に基づき作成しています。