「幼い頃に読み聞かせをしてもらったことを、今でも覚えている」という大人は多いことでしょう。ワクワクしながら次のページへと思いを馳せた記憶、絵本の中でしかできない体験に胸を躍らせた思い出、母親や父親の穏やかでやさしい声……。読み聞かせは何世代にもわたって、子どもたちに、楽しく幸せな時間を与えてきました。
そんな絵本の読み聞かせのプロとして活動するのが「聞かせ屋」。今回は読み聞かせで、子どもたちはもちろん、大人をも魅了する、聞かせ屋。けいたろうさんに、その誕生秘話や、読み聞かせの持つ力について、お話を伺いました。
読み聞かせのプロ「聞かせ屋」とは?
――「聞かせ屋」というのは前例のない職業ですよね。具体的にはどのような活動をされているのですか?
全国をまわって、子どもたちや保護者さん、保育士さんを対象に、絵本の読み聞かせ公演を行うのが主な活動です。絵本講座や研修会なども行っています。
もともとは、夜の路上で大人を対象に読み聞かせをしていましたが、今はその活動にはひと区切りつけて、月に一度、平日の朝の公園で、赤ちゃん連れの親子に絵本を読む活動を続けています。
よく見ると、底の部分が補修されています。毎回20冊程度の絵本を入れていくため、その重さで壊れてしまうことも多いのだそう。
聞かせ屋。けいたろうが誕生するまで
今や自宅に700冊以上の絵本を準備して、全国を飛び回っているというけいたろうさん。しかし聞かせ屋として活動をスタートするまでの道のりは、決して楽なものではありませんでした。
ミュージシャン志望から保育の道へ
――けいたろうさんは、保育士を目指されていたとお聞きしました。
僕は、高校卒業後は1年間ミュージックスクールに通っていたんです。「有名になってヒットチャートを駆け抜ける!」と意気込んで、ストリートミュージシャンの活動をしていたんですが、なかなかうまくいかずに、挫折してしまいました。
――なるほど、最初は音楽の道を目指されていたんですね! そこからどうして保育士になろうと?
挫折して3年間、アミューズメント施設でアルバイトをしたんです。そこでは子どもと接する機会がたくさんありましたが、子どもたちの様子を見ているなかで、感動したできごとがあって。
――どのようなできごとだったのですか?
あるとき、ゲームコーナーの景品でバンダナが配られていたんですね。そのバンダナで、子どもたちが「大型遊具を掃除する」というごっこ遊びをしていたんです。子どもたちは4人で来ていたのですが、4人のうち1人だけが、バンダナが当たらなかったんです。
――その子は「お掃除ごっこ」に入れなかったのですね。
彼だけが遊びの輪に入れずに「仲間はずれ」になってしまい、泣いているという状態が続いてしまって……。そんなときに「お掃除ごっこ」をして遊んでいたうちの1人が、ケガをしてしまったんです。それを彼が伝えにきてくれたんですね。「●●ちゃんがケガをしたので、絆創膏をください!」と。
僕は急いで向かおうとしたんですが、その子は僕の持っていた絆創膏を奪って、走っていってしまっていたんです。
「それは大切なものだよ!」というと、その子が僕に背を向けて走ったまま叫んだんです。「ボクが●●ちゃんに貼ってあげるの!」って。
――なんて健気な姿!
その子は、一生懸命に絆創膏を貼ってあげていて、そのあとケガをした子は、黙って彼にバンダナを貸してあげていたんですね。それを見て、子ども同士の気持ちのふれあいに感動してしまって。その時に「自分が目指したいのは保育者なんじゃないかな」と思ったんです。
――当時、男性で保育士を目指すというのは、まだまだ珍しかったのではないですか?
アミューズメント施設のおもちゃコーナーで、汗だくになりながら子どもたちと遊んでいるときに、あるお母さんに言われたことがあったんです。「この子には父親がいないんです。幼稚園にも男性の先生はいないし……こんなに一生懸命大人に遊んでもらったのははじめてだったと思います」と。
「幼稚園にもお兄さんみたいな先生がいたらいいのに」という言葉は、保育の道に進む僕の背中を押してくれたように思います。
「子どもと一緒に成長したい!」という思い
――アミューズメント施設でのさまざまな経験が、保育への思いを確かなものにしてくれたのですね。
そうですね。僕は「人間は一生成長するものだ」と考えているのですが、「子どもと一緒に成長していきたい!」と感じました。その後、短大に進んで、保育の専門的な勉強をするために、バイトをやめました。
「大人でも絵本は楽しめる」という気づきが聞かせ屋の原点
――けいたろうさんは、なぜ「絵本の読み聞かせ」に着目するようになったのですか?
保育士を育成する短大で、毎回授業のはじめに絵本を読んでくれる先生がいたんです。僕もクラスメートたちも、その読み聞かせを毎回楽しみにしていて。そこで「ああ、絵本を読んでもらうのって、大人にとってもおもしろいんだな」と思ったんです。
――昔読んでもらった絵本が懐かしい、という感情でしょうか?
いや、ただ「懐かしい」のではなくて、たとえ新しい絵本を読んでもらったとしても、まるで映画をみるかのように楽しめたんです。「絵本って、子どもが読んでもらうだけのものではないんだな」と感じましたね。そこから「大人にも絵本を」という視点が生まれました。
――「大人にも絵本を」が聞かせ屋の初期のテーマだったのですね。
そうですね。「絵本と出会うはずではなかったはずの”大人”に絵本を読み聞かせる」ということを目的に、夜の路上で読み聞かせをはじめたのが、聞かせ屋としての活動のスタートでした。
夜の路上での読み聞かせ活動がスタート!
――路上での音楽ライブなどはよく目にしますが、絵本の読み聞かせは珍しいですね。
2006年の10月14日、夜9時半。僕は、北千住の駅ビルのシャッター前にブルーシートを広げて、図書館から借りてきた絵本を並べたんですね。そして「絵本の読み聞かせやさん、はじめるよ~!」と、夜の路上で手を叩いたのが、聞かせ屋の活動のはじまりでした。
――道行く人たちの反応はどうでしたか?
はじめは呼びかけても、誰も見てくれない。皆、冷たい目で通り過ぎるだけでしたね。だから「これは、誰もいなくても絵本を読んでいなくてはいけない……」と思って、読み聞かせのデモンストレーションをはじめたんです。
――すぐにお客さんは集まりましたか?
最初のお客さんが来るまでは、本当に時間がかかりました。2冊、3冊、4冊……もう30分経ったのか、1時間経ったのかわかりませんでしたね。でも「誰か一人でも足を止めてくれるまでは帰らないで続けよう!」そう思って絵本を読み続けていたんです。
はじめてのお客さんは2人の女子高校生
すると2人の女子高生が、僕の前に腰をおろしたんです。一人は金髪、もう一人はマスカラをバッチリ塗っていて。その女の子たちが「ねえ、なにやってんの?」と聞くので「絵本を読んでるんだよ」というと、「いいことやってんねえ~!」と(笑)。
――聞かせ屋の最初のお客さんですね!
お客さんがなかなか来ないことを話すと、女子高生たちは「じゃあ、私たちに読んでよ」と言ってくれたんです。そして読み聞かせがはじまりました。
――女子高生たちはどんな様子でしたか?
二人は真剣に絵本の絵を見てくれて、読み終わると拍手をしてくれました。そして「じゃあつぎはこの絵本」それが終わると「つぎはこっち」と絵本を指さしてくれて。僕は彼女たちが選んだ絵本をどんどん読んでいきました。
拍手がなかった『かわいそうなぞう』
3冊、4冊ほど読み終わったところで、「もう行かなきゃいけないから、最後の絵本にする」と彼女たちが言い出しました。そして指さしたのが『かわいそうなぞう』という絵本だったんです。
――『かわいそうなぞう』は、とても悲しいお話ですよね。
そうなんです。「いやあ、この悲しいお話を今読むのはどうかなあ……」と思って「悲しい絵本だよ?」と言ったんです。すると彼女たちが「知ってる」と。小さい頃にお母さんに読んでもらったから知っているんだと、でも懐かしいから読んでほしいんだと言われたんです。
――そして読み聞かせがはじまったのですね。
大事なお話なので、読み間違えないように一生懸命読みました。戦争で動物園の象を殺さなくてはならなくなり、1頭また1頭と亡くなって、飼育員は上空の戦闘機に、泣きながら「戦争をやめてくれ」と心の中で叫ぶ……そんな場面も終わり、裏表紙を見せて、読み聞かせを終えたんです。
「彼女たち、どう思ったかな」と思いながら顔を伏せていると、毎回響いていた拍手が聞こえてこないんです。いつまでたっても拍手がないので「うーん、読むのは失敗だったかな……」と思って、そっと二人の顔を見たんですね。そうしたら、二人ともうつむいて、目尻を押さえ、涙を拭っていたんです。
――それを見たときどう思われましたか?
「ああ、きちんと伝わったんだ、届いていたんだ」とすごく嬉しかったですね。夜の路上は、タクシーの行き交う音や、人々の足音などで、すごく騒がしいんです。でも、その時は、まるで僕と女子高生たちと絵本だけを囲むガラスの部屋があるかのように、周囲の空気だけがパーンと張りつめていて。「もうまわりにどんな目で見られようとかまわない!」そんなことを思いましたね。
――聞かせ屋の活動に手ごたえを感じらたのですね。
「大人への読み聞かせ」というものを、誰かがやらなくてはいけないんじゃないか。誰もやらないなら僕がやろう。そう思ってはじめたのが夜の路上での読み聞かせでした。
赤羽、新宿、渋谷……その後も、いろいろな場所で読み聞かせを続けていきましたが、どの場所でも「今日絵本を読んでもらってよかったよ。」そう言ってくれるお客さんがいたんです。そんな声に背中を押してもらったからこそ、聞かせ屋を続けてこられたと思っています。
公立保育園の思わぬ合格通知……
――聞かせ屋の活動をはじめて、保育園で働こうというお気持ちは変わりましたか?
保育の短大で2年学んだあとは、現場に出るつもりでいましたが、卒業まであと半年というところで聞かせ屋の活動をはじめてみて「これは仕事につながるのではないか」と思う気持ちもありました。
――採用試験も受けられたのですか?
公立保育士になるために、採用試験を受けていたのですが、落ちてしまったんです。だから、「また1年公立の試験を頑張る期間だけ、聞かせ屋の活動をやろう」と思っていました。
しかし、そんな矢先、一転して電話がかかってきて「補欠合格の繰り上がりで採用になりました」と言われたんです!自分の中では、聞かせ屋の活動を続けたいと思っていたところだったので、正直、相当悩みましたね。
――その選択で人生がガラリと変わってしまいますよね。
公立保育士になれば、安定的な生活も手に入りますし、なによりこの2年、それを目指して勉強してきたわけですから……。多くの保育士が目指す公立保育園での採用が決まったのに、その話を受けないというのは、なかなか考えづらいですよね。
タイムリミットは1日半!
――すぐにお返事はされなかったのですね。
はい。でも結論を出すまでの時間は、1日半しかもらえませんでした。「明日の夜7時までには決めてください」と言われたので、まずは自分の気持ちを整理しつつ、学校へ行き、友人に会い……自分の大切な人たちに「どうしたらいいだろう」と相談しましたね。
――他の方のアドバイスはどうでしたか?
もう、みんな「公立保育園に決めなさい!」と(笑)。絵本の読み聞かせをしてくれていた先生にも「保育士として働いていくうちに、自分のやりたいこともできるようになるから、今はその夢をいったん保留しておきなさい」と諭されましたね。僕の尊敬する男性の保育士さんも、「その話は絶対に受けろ」と言ってくれていました。
公立保育園で働くうえでの収入、信頼、そういったものの大切さをよく知っている方々なので、「これはまたとないチャンスだ」と言っていました。
――そんな信頼できる方の助言を受けても、聞かせ屋をやりたいという気持ちは消えなかったのですね。
その晩は、親しい友人たちに電話で相談をしました。友人たちは聞かせ屋の話を聞いて、「その方がお前らしいじゃん」と応援してくれました。
でも、実は相談しながらも、もう決まっているんですよね(笑)。女の子たちが洋服を選ぶように、「どっちがいい?」と聞きながらも。誰かに背中を押してほしいだけで。
信頼している方に親身になって相談に乗ってもらい、どんなアドバイスをもらっても、自分の気持ちの中で「聞かせ屋をやりたい」という気持ちは変わりませんでした。
――しかし、親御さんの説得は大変だったのではないですか?
最初保育園から合格の電話がかかってきたとき、本当のことを話せずに、ごまかして切り抜けたんですね。でも自分の腹を決めたなら、まず「おかんを説得しなきゃいけないな」と思っていました。
――話してみて……どうでしたか?
「あんた、いい加減にしなさいよ」と言われましたね(笑)。朝の出勤前だったので、「その話は絶対受けなさい、もう子どもでもないし、若くもないんだから」と一蹴されて、そのまま母は家を出てしまったんです。
もう、「これはマズイ」と。タイムリミットも迫っていたので、寝間着のうえにジャージを着て、急いで母の後を追いました。
――通勤途中で説得したのですか!
「あんた、いつまでついてくるの?」と言われながらも、一緒に通勤電車に乗り込み、吊革につかまりながら、母を説得しました。どういった経緯があって、どんなことを考えたのか、自分の思いや決意を一生懸命説明していたら、「わかったからもうついてこないで!」と(笑)。「じゃあ、自分で決めていいんだね?」と聞くと「いいからもう帰って!」と、なんとか納得してもらいました。
「お前、もう決まってるんじゃん。やりたいんでしょ?」
――すぐに保育園に返事をしたのですか?
夜の7時までに「自分の気持ちを揺るぎないものにしなくては」と思っていました。ちょうど反対側の電車の終着点が、上野だったので、はじめての公演で読んだ『かわいそうなぞう』の舞台でもある上野公園に向かいました。そこで動物を眺めたりしながら、かつてバイトをしていた、アミューズメント施設の店長に電話をかけたんです。
僕は今置かれている状況や、自分の思いを店長にすべて打ち明けました。店長はずっとただただ「うん、うん」と聞いてくれて……話し終えると、言ったんです。「お前、もう決まってるじゃん。やりたいんでしょ?やりたいことやりゃいいじゃん!お前の人生なんだからさ」と。
それを聞いたら、ドッと涙が溢れてきて「ああ、僕はこんなにも聞かせ屋をやりたかったんだ」と、はじめて自分の気持ちに気づきましたね。
――それが最後の一押しになったのですね。
ここまで、いろいろな人の話を聞いてきましたが、気持ちが揺らぐことはなかった。だから「これでいいんだな」と思い、心を決めたんです。
読み聞かせをしてくれた短大の先生は、「前例がないことだから、あなたが線路の岩をよけて、道を切り開いていかなくてはならないのよ。でも本気でやるなら応援するわ」と言ってくれました。
はじめは軌道に乗らなかった「聞かせ屋」
――聞かせ屋のお仕事はいわばパイオニアですよね。最初は苦労されたのではないですか?
学校を卒業して新年度が始まった4月には、友だちから依頼を受けた、牧場での仕事1本しかありませんでしたね。読み聞かせをして羊の毛刈りショーの司会もやって(笑)。5月も全然仕事が入らずに「どうしようか」と思いながら過ごしていたら、短大の先生が、公立保育園の非常勤職員の仕事を紹介してくれたんです。
最初のうちは、保育園で非常勤職員として働きながら、土日を中心に聞かせ屋の仕事をしていましたね。
2年目で聞かせ屋の仕事をメインに
――どれくらいで軌道に乗ってきたんですか?
駆け出し1年くらいの頃に、いろいろな新聞社から取材を受けたことがあったんです。そこから徐々に仕事が増えていきましたね。「聞かせ屋としてやっていこう」と心を決めたときに、上野動物園の投書箱に「いつか動物園のイベントで絵本を読ませてほしい」とお願いを出したのですが、後々、上野動物園からも公演の依頼をいただくことができました。
――だんだんと知名度が上がってきたのですね。
土日が仕事で埋まるようになってきて、保育士の仕事との両立が難しくなってきました。しかし、非常勤職員の僕がシフトの希望を出すわけにもいかない。日々子どもたちの育ちを見守り、支えていくという大切な役割もある。「これはしっかりとどちらかに絞らなければならないな」と思いました。
――そして非常勤の仕事を辞められたのですね。
2年目の年度末、区切りの時期に非常勤職員の仕事を辞めて、聞かせ屋の仕事をメインでやるようになりました。とはいえまだ仕事が少ない頃だったので、月に8日~10日程度は他の保育園のアルバイトを入れていましたね。
今でもその保育園とはつながっていて、今でもパートタイムで保育士として働いています。
どんどん「シンプルに」なっていった読み聞かせ
――駆け出しのころと今とでは、読み聞かせのスタイルは変わりましたか?
聞かせ屋をはじめた頃は、路上で道行く人の足を止めなくてはならなかったので、今よりも、パフォーマンス色が強かった。声色を思いきり使ってみたり、足を大きく広げたり……インパクトを重視して派手にしないと、なかなか人を集めることができなかったんですね。
子どもたちが自分を見ていて「これは違うな」と気づいた
それがあるとき、「絵本はパフォーマンスではない」と気づかされたんです。僕は鬼の絵本を読んでいて、声色を使って鬼の声を凄んでいました。そのときに、子どもたちがみんな、僕の顔を見ていたんですね。絵本ではなくて。そこで「これは違うな」と。
「絵本を見てほしい」と思って読み聞かせを続けていくと、読み聞かせは自然とシンプルになっていきました。登場人物によって多少声色は変わりますが、それはごく自然な範囲のものになって。あくまでも「絵本が主役」の読み聞かせへと変わっていきました。ある意味、原点回帰ですね。
主役はあくまでも「絵本」であるということ
――聞かせ屋は、けいたろうさんが主役の「パフォーマンス」ではないのですね。
みんなギャップを感じると思いますね。「聞かせ屋というからには、さぞかし思いきり”聞かせて”くれるんだろうな」って思っていたら、すごくシンプルなので(笑)。でも、主役はあくまでも絵本なんです。絵本を立たせることで、子どもたちが夢中になってくれるものなんですよ。
――絵本の力を引き出すのが聞かせ屋ということですね。
「絵本の力を引き出すにはどうしたらいいか」ということを一番に考えると、たとえば立ち位置についても、自分が真ん中にくるのではなく、絵本を真ん中にして自分は少しずれる。やはり読み聞かせというのは、絵本をいかに活かすか、というところが重要なんだと思います。
――「絵本を活かせているかどうか」は、ご経験からわかるものなのでしょうか?
読んでいるこの絵本が、目の前の子どもたちにとって、長いのか短いのか、おもしろいのかそうでないのか、合っているのか合っていないのか……その答えは、すべて子どもたちが持っているんですよ。だから、子どもたちの反応を見れば、それがおのずとわかってくると思っています。
絵本の力を引き出すことができれば大丈夫!という自信
――けいたろうさんが、聞かせ屋をはじめて12年経ちますが、聞かせ屋としてのご自身の力について、どう思われますか?
読み聞かせがごく自然なものになっているので、「自分の実力がどうか」というのではなくて、絵本次第だと思うんですね。「僕が絵本を活かしきれば、絶対にうまくいく」そんな自信を持っています。
たとえば導入にウクレレを弾いたり、お客さんに手を叩いてもらったり……そういった導入で目の前の子どもたちの様子を見ながら、どんな絵本を読もうか考える。何冊か絵本を読んで、子どもたちの集中力が途切れてきたときに、歌をはさんで、また絵本に気持ちが向くようにする。読む絵本に変化を付けてみる。そうやって、公演で読む絵本それぞれに役割を与えて、すべての絵本が生きるようにコーディネートする。それが僕の聞かせ屋としての力だと思っています。
絵本は人と人とを結んでくれるもの
――読み聞かせをすることでお客さんにどんなことを伝えたいと思いますか?
僕は絵本を読むことで「こんなことを学んでほしい」とか「こんなメッセージを伝えたい」ということは、あまり考えていないんです。
糸へんに会う本、で「絵本」
絵本って、糸へんに会うに本と書きますよね。僕は絵本って「糸で出会いを結んでくれる本」なんじゃないかなと思うんです。
――人と人との出会いを結んでくれる本、ですか。
小説もマンガも、ひとりで読むものですよね。でも絵本は読み手がいて、聞き手がいて、「読み聞かせる」ことで、一番すてきに味わうことができるんですよ。
絵本の読み聞かせという行為は、絵本を通して読み手と聞き手とが「つながる」こと。だから、僕は絵本が与えてくれる「ふれあい」や「関わり」というものを、なによりも大切にしていきたいと思っています。
「現状維持でいい。いい意味で。」
――聞かせ屋。けいたろうさんのこれからの抱負を聞かせてください!
僕は「現状維持」でいいと思っています。いい意味での現状維持。「もっと有名になりたい」とか、「もっと大きなステージでやりたい」という思いはまったくないですね。
絵本はそもそも派手なものではないですし、パフォーマンスでもないんです。たとえばざわついた中で読み聞かせをすれば、やはりきちんと伝えることはむずかしくなってしまう。いわば環境に左右される繊細なものなんです。
だから僕は、大型ビジョンに絵本を投影したり、マイクを使ったりするのではなくて、実際にふれあえる距離感というものを大切にしたいですね。紙に描かれた絵本のよさを味わえて、僕の声がきちんと伝わるような空気感のなかで、これからも聞かせ屋の活動を続けていけたらいいなと思います。
絵本は保育士さんの味方です!
最後に、聞かせ屋。けいたろうさんから、保育士の皆さまにメッセージをいただきました!
- -保育者の皆さんへ-
- 絵本は、保育者の味方です。
あなたの保育の助けになってくれます。
「明日、あの子たちに読みたい!」
という絵本と、出会ってください。- そういう絵本が沢山あったら、
読み聞かせの時間が楽しみになります。
あなたも。そしてきっと、子どもたちも。- 僕は、保育者の皆さんを応援しています。
- そういう絵本が沢山あったら、
編集者より
時にやさしい笑顔を見せながら、時に真剣に考えながら、インタビューに答えてくれたけいたろうさん。
音楽の道を目指したときの経験、保育士を目指して学んだ知識や技術、そして聞かせ屋として道なき道を切り開いてこられた苦労、そのすべてが魅力となって、今のけいたろうさんを築き上げているのでしょう。
子どもたちに対して、保護者や保育者に対して、あたたかいまなざしを向けつつ、絵本の読み聞かせに真摯に取り組むその姿は、派手なパフォーマーや、野心あふれるパイオニアなどではなく、まさに絵本のように「人と人とをつなぐ」存在そのものだと感じられました。
けいたろうさんプロフィール
聞かせ屋。けいたろう
夜の路上で、大人に絵本を読み始めた、聞かせ屋。
親子読み聞かせ、絵本講座、保育者研修会で全国を駆け回る。
絵本の文章、翻訳も手がける。保育士。一児の父。
作品に「どうぶつしんちょうそくてい」「おっぱいごりら」(アリス館)
「まいごのたまご」(角川書店)「絵本カルボナーラ」(フレーベル館)など。
ホームページhttp://kikaseya.jp
公演予定、ご依頼もこちらです。